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東京高等裁判所 昭和48年(行コ)74号 判決 1977年3月08日

控訴人 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 室根茂子

被控訴人 新潟県立○○高等学校長 乙山次郎

右訴訟代理人弁護士 岩野正

同 岩淵信一

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人が昭和四五年三月二四日控訴人に対してした退学処分を取り消す。訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴人訴訟代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び証拠関係は、次のとおり附加訂正するほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する(但し、原判決一一枚目裏三行目に「第二」とあるのを「第三」と訂正する。)。

(控訴人訴訟代理人の陳述)

一、控訴人は、昭和四九年四月△△大学経済学部に入学し、現に同大学に在学中である。しかし、このことによって本訴請求につき訴の利益が消滅したものとすることはできない。すなわち、一般に生徒は退学処分によって当該学校において教育を受ける権利を剥奪されると同時に、退学処分に相当する行為をしたとの判定により名誉、信用にかかる消極的評価を受け、しかも、被処分者が他校に就学し、または就職する場合に提出を求められる履歴書には、右退学処分を受けた事実を必らず記載しなければならない。したがって、控訴人が大学に入学したことにより、○○高校において教育を受ける権利を回復することは無意義に帰したとしても、違法な本件退学処分によってもたらされた名誉、信用等の人格的利益の侵害状態はなお残存し(現に控訴人が本件退学処分を受けたことが新聞などにより報道され、控訴人の人格について広く誤解を招いている。)、右利益を回復する必要があるのみならず、就職にさしさわるなど将来に亘る不利益を除去することも必要である。さらに、控訴人としては、○○高校在学中にした行動の意味につき広く理解を求めるためにも、本訴を維持しなければならない。それ故、本訴請求については訴の利益がある。

二、原判決八枚目裏六行目に、「学校封鎖および」とあるのを削除し、同一〇行目に「該当する、」とあるのを「該当し、学校封鎖は重要な情状となる」と訂正し、同九枚目表末行から同裏一行目にかけて「圧殺するものにほかならず、懲戒権の乱用である。」とあるのを「圧殺するものにほかならない。」と訂正し、同裏二行目冒頭から五行目末尾までの部分を削除する。

三、被控訴人は、本件退学処分の基礎とした事実は原判決事実摘示第三「被告の主張」の項の二(二)の1、4、5、7、8の事実であると主張する。そして、被控訴人は、右各個の事実が全部相俟って、はじめて、学校教育法施行規則第一三条第三項第四号にいう「学校の秩序を乱し、その他(中略)生徒としての本分に反した」ものに該当するとしたのであるから、もし、右各個の事実の一つでも、右法条に該当すると評価することができないものがあるならば、本件退学処分は根拠を欠き、もしくは、相当性を欠き懲戒権の乱用に当るものとして、取り消されるべきである。被控訴人は、前記「被告の主張」の項の二(九)の学校封鎖の事実は重要な情状としてこれを斟酌したと主張する。したがって、右事実は処分事由でないのであるから、前記1、4、5、7、8の事実の一つでも、「学校の秩序を乱し、その他(中略)生徒としての本分に反した」ものと評価することができないものがある場合に、右情状事実をもって、その欠缺を埋めることは許されない。

(被控訴人訴訟代理人の陳述)

一、控訴人の前記一の主張事実中、控訴人がその主張の時期にその主張の大学に入学し、現に同大学に在学中であることは認めるが、本件退学処分の報道により控訴人の人格につき広く誤解を招いたとの点は否認する。その余の主張は争う。本件退学処分に伴う名誉、信用など人格的利益の毀損、就職の障害など将来に亘る不利益のごときは、いずれも単に事実上のものにすぎないから、この種の人格的利益あるいは就職上の利益を回復する必要があるからといって、処分の取消を求める訴の利益があるということはできない。

二、原判決一六枚目表一〇行目に、「学校封鎖および」とあるのを削除し、同一二行目に「に該当するものと認めて、」とあるのを「に該当するものと認め、学校封鎖の行為を重要な情状としてあわせ斟酌し、これらの総合判断に基づき、」と訂正する。

(証拠)《省略》

理由

第一、訴の利益について。

行政庁の処分の取消を求める訴訟(処分の取消の訴)は、当該具体的状況のもとにおいて当該訴訟を提起し、あるいはこれを維持する利益、すなわち訴の利益が存在することを必要とし、訴の利益を欠き、もしくはこれが消滅した場合は、不適法な訴として取り扱わなければならない。本件は、控訴人が昭和四五年三月二四日○○高校第二学年に在学中、被控訴人から受けた退学処分の違法を主張して、その取消を求めるものである。ところで、現行法上、高等学校の生徒に対する退学処分は、「性行不良で改善の見込がないと認められる者」とか、「学校の秩序を乱し、その他(中略)生徒としての本分に反した者」などに対し、校長が行う懲戒処分であって(学校教育法第一一条、同法施行規則第一三条第三項)、当該生徒の在学関係をその意思に反して終了させ、これを学外に排除する措置である。このような性質を有する退学処分の取消の訴については、被処分者が処分の取消により在学関係を復活させて、当該学校において教育を受ける権利を享受する必要性が認められるときなどが訴の利益が存する典型的な場合に属するといえるであろう。これに対し、被処分者が退学処分を受けたまま、高等学校を卒業した者と同等以上の学力があると認められて、大学の入学資格を取得し(学校教育法第五六条、同法施行規則第六九条)、大学に入学し、もはや高等学校に復帰する意思を有しないような場合に、なお退学処分の取消の訴の利益を肯認することができるかは、問題である。本件においても、控訴人が(入学の経路は詳らかでないが)昭和四九年四月△△大学に入学し、現に同大学に在学中であることは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、控訴人はもはや○○高校に復帰する意思を有していないものと認められる。しかし、このような場合でも、退学処分の効力が存続する限り、被処分者が将来大学を卒業して就職しようとするとき提出を求められる履歴書には、高等学校で退学を命ぜられた旨記載しなければならず、これによって、就職上の不利益を被るおそれがあることは明らかである。被処分者が現に在学中の大学から他大学に転学しようとすることもありうることであるが、その場合にも、同様の理由から不利益を被ることが充分予想される。現在のわが国の社会において、人の履歴の正常性ないし正当性が有用な一個の社会的価値として評価されなければならないことは疑いの余地がなく、他方、退学処分が前述のような事由に基づく学外排除措置であることから、右処分が被処分者の履歴に消極的な評価を導く原因となることも否定できない社会的事実である。してみれば、履歴の正常性ないし正当性は退学処分の取消により回復されるべき法律上の利益に当るということを妨げず、これを保持する必要がある限り、処分の取消の訴の利益を肯定することができるものというべきである。本件において、控訴人の主張するところ(本判決事実摘示の控訴人訴訟代理人の陳述の一)の一つも、叙上の点にあると理解されるのであり、当裁判所は、控訴人の爾余の主張について判断するまでもなく、本訴における訴の利益を肯認すべきものと思料する。

第二、本案について。

一、控訴人が昭和四三年四月○○高校に入学し、昭和四四年四月第二学年六組に進級したが、昭和四五年三月二四日被控訴人から学校教育法施行規則第一三条第三項第四号にいう「学校の秩序を乱し、その他(中略)生徒としての本分に反した者」に当るとして、退学処分を受けたことは、当事者間に争いがない(なお、《証拠省略》によれば、昭和四四年から同四五年にかけて被控訴人の地位に就いていたのはAであったが、昭和四五年一月二七日から同年三月二七日までは、同人が病気療養中であったため、教頭Bが校長事務取扱を命じられていたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。)。

二、本件退学処分に至る経緯。

《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)  控訴人の政治活動の開始。

控訴人は、第一学年の二学期ころから政治問題に対する関心を強め、やがて校外における各種の政治的集会や街頭デモ行進に参加しはじめた。控訴人は、昭和四四年四月第二学年に進級した後、新たに結成された反戦高共闘の一員として、その活動に加わるようになり、このため、無断欠席や遅刻早退が多くなり、学業成績も著しく低下するようになった。そこで、学校側では、C学級主任、D生活指導部長が主となって、控訴人及びその両親にしばしば懇談し、控訴人に対しては、学業を専一にし、欠席などの場合は所定の手続を遵守するよう指導、説得に努め、あわせて両親の協力をも要請した。しかし、控訴人の政治活動はますます活発化していった。

(二)  新潟中央高等学校事件と校長注意。

昭和四四年九月一四日、新潟中央高等学校(以下「中央高校」という。)の文化祭当日、控訴人を含む○○高校生及び明訓高校、新潟南高等学校(以下「南高校」という。)の高校生ら合計一〇数名は、中央高校の前庭で反戦フォークソングを唱い、中央高校生活指導部長から野立の雰囲気を壊す等の理由で制止された。ところが、控訴人らは右制止に従わず、中央高校からの連絡を受けて来校した○○高校のD生活部長外二校の生活指導部長の注意を受けて、一応フォークソングは取り止めたものの、その後、中央高校生活指導部長に面会を強要し、反戦思想のない文化祭はナンセンスであるとして、同人の前記制止措置を誹謗し、また、中央高校教頭に対し、三校の生活指導部長に連絡したことに対する自己批判を迫ったりなどした。

被控訴人は、右行動を政治活動の一環であるとする認識のもとに、右行動に出た控訴人を含む○○高校生五名に対し、政治問題に熱中して学業をおろそかにしないこと、他校の行事に介入し迷惑をかけないことを趣意とする校長注意を行うこととしたが、控訴人は、D生活指導部長、C学級主任から被控訴人の指導を受けるよう指示されたのにかかわらず、これに応じなかったのみならず、控訴人は外数名の者とともに、同月二〇日午後一時頃、中央高校生活指導部長との「討論」の続行を求めるため、同校に赴き、右要求を拒否されるや、同校入口付近において携帯マイクを用いて、同校の教育が閉鎖的である旨のアジ演説をした。その後、同月二七日、控訴人は、関係のある生徒と一緒なら被控訴人に会うと称し三名の生徒とともに校長室に入ろうとしたが、C学級主任が控訴人のみを校長室に入れ、その機会に、被控訴人から控訴人に対し前記注意を行った。

(三)  昭和四四年一〇月一三日の集会。

控訴人を含む前記五名の生徒とE教務部長、D生活指導部長らは、昭和四四年一〇月八日、約五時間に亘り、高校生の政治活動について話し合い、その際、学校側が生徒と被控訴人との面談を斡旋することとなった。その結果、同月一三日午後三時四〇分から七時三〇分頃まで、会議室に、被控訴人以下約二〇名の教師と生徒約一〇〇名が集まり、生徒側から前記(二)の校長注意は訓戒処分であって、不当でないかと質し、これに対し、学校側は、右校長注意は訓戒処分でないが、生徒の政治活動に対してはあくまでも規制をすると答え、その他生徒の政治活動をめぐって問答が交わされた。ところが、政治活動の意義について学校側発言者の述べたことが区区に分れたので、生徒側は政治活動に関する学校側の統一的な見解の表明を求め、学校側はこれに応ずることとなった。

(四)  国際反戦デー事件。

控訴人は、昭和四四年一〇月二一日午後一時から、○○高校前庭において、同校生徒二、三十名とともに、いわゆる処分問題についての討論集会を開き、B教頭から、「無届集会であるから、解散せよ。」と指示されたのに、これに応ぜず、集会を続行した(○○高校の学則では、校長が生徒指導のため別に生徒心得を定めることができると規定され((第一〇条))、これに基づき被控訴人が制定した生徒心得9は、校内外の集会は、必ず事前に、関係職員を通じ、生活指導部に申し出て、「指示」を受けることとしていた。右のいわゆる「指示」は、実際上では、許可あるいは不許可というかたちで運用されてきた。上述の「無届集会」の語は、生徒心得9所定の申出すらなく、したがって、もとより許可を受けないで開催された集会を意味する。この用語例は、以下も同様である。)。そのうち午後三時過頃から、反戦高共闘に属する他高校の生徒及び大学生、「反戦教師の会」の者ら合計五〇名位がヘルメット姿で、正面玄関前に参集し○○高校生の前記集会にかわり、国際反戦デーの集会を開始し、控訴人その他一部の○○高校生も右集会に参加した。そして、一同は、反戦と控訴人に対する処分撤回をうたった立看板を立てたり、シュプレヒコールを繰り返えし、さらに、前庭でのデモ行進を敢行し、これを制止し、解散を呼びかける○○高校教師約五〇名との間でもみ合いを始めた。右もみ合いは、教師側において、そのまま推移すると教師としての限界を越える行動に出ることを憂慮し、校舎内に引き揚げたため、終熄したが、この間控訴人は、外二名の○○高校生とともに校長室に乱入し、学校側が立てた部外者立入禁止の看板を撤去せよと罵声を上げ、教師の説得を受けるや、「こんな馬鹿共と話しても無駄だ。問題を大衆化しよう。」と呼号して、右看板を踏みにじる挙に出た。そして、控訴人は「反戦教師の会」の者らが引き揚げた後も、アジ演説を行い残留者とともに前庭でデモ行進を行った。

(五)  全校集会への動き。

前記国際反戦デーの集会で教師と生徒のもみ合い事件が発生したことから、事態を正常化しようとする生徒らが「有志の会」を結成し、学校側に対し、高校生の政治活動の問題を中心に全校集会を開催したいと要望し、学校側もこれを応諾した(「有志の会」結成の事実は当事者間に争いがない。)。そして、有志の会は、学校側の示唆に基づき、生徒会臨時総会開催の方式に準じ、生徒の三分の一以上の署名を得て全校集会を開催することとなり、昭和四四年一一月二、三日頃までに四八六名の署名を集めた。このことと平行して、学校側と生徒側の合意により、全校集会開催のため、学校側と生徒側の双方からそれぞれ選出された委員で構成する準備委員会が結成され(準備委員選出の事実は当事者間に争いがない。)、右委員会は同月六、七日に開催された。

(六)  統一見解の発表と全校集会の挫折。

学校側は、昭和四四年一一月六日、「政治活動に関する統一見解」(以下「統一見解」という。)を発表し、第五限に各クラス毎に趣旨説明を行った。右統一見解の要旨は、「学校は、生徒が政治的教養を高め、政治について理解を深めることを否定するものではないが、一定の政治的主義・主張を掲げて他に訴え、あるいは他の同調を求めるため、その意思を集団的行動に表現することについては、自重を要望する。政治的活動の個々の場合に応じて、担任の先生との話し合いの機会を持って、そこで自己のあり方を考えることにしてほしい。」というにあった。

ところで、同月七日の準備委員会(このとき控訴人は出席していない。)において、学校側が統一見解の内容を今後変えることはないとの意向を明らかにしたところ生徒側は、これから全校集会を開催して討論しようとする矢先に、統一見解の不可変をいうことは承服できないとし、このことと全校集会の開催日をめぐって、学校側と生徒側の間に意見の対立を生じ、遂に生徒側委員が退席するという結末となった。

同日午後二時二〇分頃、控訴人を含む約五〇名の生徒が授業を放棄して、前庭で全校集会に関する無届集会を開き、放課後にまで及んだ。午後六時三〇分頃、右集会を主催した一部生徒が翌八日の第一限から全校集会を開いてもらいたいと申し入れたが、学校側は、当日は被控訴人が出張し、また、第二学年の模擬テストが実施される予定日に当ることと無届集会を強行した者が全校集会を要求することは道義的に容認し難いということで、午後七時三〇分頃、前記申入を拒絶するとともに、学校側が統一見解の説明をするかたちの全校集会を来週中にでも開催することを検討する旨伝達した。

(七)  学校封鎖。

全校集会における統一見解の取扱をめぐる生徒側と学校側との対立を契機に、○○高校に対する学校封鎖が企画・遂行され、控訴人もこれに加担した。

右学校封鎖は、昭和四四年一一月八日午前零時一三分頃、大学生・他高校の生徒その他を含む約八〇名の集団が○○高校校舎へ侵入したことから始まった。これに参加した控訴人は、他高校の生徒一名とともに、本館一階宿直室に泊っていたB教頭の両腕を扼して同人を用務員室に連行し、同様にして連行された宿直の教師F、警備員G及びB教頭からの電話連絡によって急拠学校に駆けつけたところを捕捉された三年学年主任Hとともに、同所に軟禁した。右四名の者は午前一時三〇分頃軟禁を解かれたが、侵入者らは、共同して、本館二階の二年生教室のほとんど全部の机、椅子、事務室のロッカーなどを用いて、用務員室・宿直室・教務室(二室)・玄関・事務室・応接室・校長室・会議室などから成る本館一階全部にバリケードを築き、外部からの出入を完全に遮断し、これにより本館(三階建)を占拠した。右学校封鎖は、被控訴人が要請した警察機動隊の出動により、同日午前三時四〇分頃解除されたが、この間、侵入者らは、多数の設備及び物品を損傷し、その被害額は金一五〇万円以上にも達した。そして、同日(土曜日)の授業時間の大部分は、学校封鎖に関する学校側の経過説明・全校集会及び復旧清掃作業に充てられ予定された授業は、ホームルームのほかは、中止を余儀なくされた。控訴人は外五名(他高校の生徒)の者とともに、学校封鎖参加の件により、警察官に補導された。

(八)  学校封鎖参加に対する処分。

被控訴人は、右学校封鎖の事態を正確に把握して公平適切な処分をするための調査を行う必要上、昭和四四年一一月一一日、学校封鎖に参加した控訴人・I・J(いずれも二年生)の三名に対し、自宅待機を命じた。そして、被控訴人は同月一九日に至り、控訴人ら三名を無期謹慎処分に付したが(但し、控訴人は佐藤訪米阻止闘争に参加するため同月中旬に上京して不在であった。このため、控訴人の父に右処分の伝達がされた。)、同時に、右三名が学校封鎖のような暴力的破壊的行動の非を反省するとともに、今後は政治活動は合法的な範囲で行い、暴力的破壊的行動に出ることを厳に慎むよう指導することとし、本人らが右指導を受け容れるならば右無期謹慎処分を解除する方針をもって対処することとした。

(九)  無期謹慎処分後の控訴人の行動。

1 佐藤訪米阻止闘争への参加。

控訴人は、前記のように自宅待機を命じられていたのに、昭和四四年一一月中旬佐藤訪米阻止闘争に参加するために上京し、同月一六日右闘争に伴う違法行為の廉で逮捕され、同年一二月中旬にようやく釈放されて帰宅した。ことの次第を聞き知ったC学級主任は控訴人に対し、前記無期謹慎処分を告知するとともに今後の行動を慎むよう説諭したが、その際にも、控訴人はCに対し、「今後の目標は卒業式反対闘争である。」などと揚言する始末であった。このため、被控訴人は、I・J両名については、同年一二月中旬頃無期謹慎処分を解除したが、控訴人については、なおその動静を見守ることとした。

2 授業妨害。

ところで、無期謹慎処分の効力がそのまま存続すると、控訴人は、昭和四五年一月二七日限りで、出席日数不足のため原級留置きとなることが必至であったため、学校側では、右期限までに右処分を解除しうるよう配慮して、C学級主任をして数回に亘って控訴人に対し、学校封鎖参加の非を反省し、今後の行動を慎むよう懸命の説得に努めさせた。しかし、控訴人は頑強に学校封鎖の正当性を主張し、反省は権力に対する屈服を意味するなどと述べて、学校側の説得に従う意思を示さず、控訴人の母なども、前記期限を目途に反省を迫るのは、一種の威嚇であり、はたして教育といえるか疑わしいという観念を持っていて、学校側の指導に必ずしも協力的でない一面もあったため、結局、無期謹慎処分が解除されないまま、前記期限を迎えてしまった。これに対し、控訴人は、出席日数不足のため進級できないことについての責任は学校側が負うべきであるとの見解を披瀝すべく、右期限の翌日である昭和四五年一月二八日登校し、○高全学闘争委員会のメンバーを中心とする一〇数名の生徒とともに、始業時(午前八時三〇分)から第三限の半ば頃までの間、自己の属する二年六組の教室において、学校側の制止及びクラスの大部分の抗議を無視して、無期謹慎処分の不当などを訴える行動に出たため、学校側は、この間、授業を停止することを余儀なくされた。学校側では、控訴人の母の出頭を求め、C学級主任から、控訴人の行動を合法の範囲に止めるよう指導するについての協力を要請した。

3 明訓高校処分抗議集会。

昭和四五年二月二日午後一時頃から一時間半位の間、控訴人は、南高校及び明訓高校の生徒数名とともに、明訓高校正面玄関前において、明訓高校が同校生徒に対して行った懲戒処分が不当であるとして、抗議集会を開き、同校生活指導部長に対して右の件につき激しく抗議した。

4 紀元節反対集会

(1) 昭和四五年二月一〇日、控訴人は、三年生Kとともに、D生活指導部長に対し、翌一一日(建国記念日)に紀元節反対集会を開催するため、○○高校の前庭の使用を許可されたい旨申し出た。しかし、Dは、先に国際反戦デーの集会において学校の静穏を乱した事例に鑑み、控訴人らの右申出を拒絶した。これに対し、控訴人は、「明日、なにがおこるか判りませんよ。」と捨て台詞を残して立ち去った。

(2) 翌一一日午後一時三〇分頃、控訴人は、K外数名の○○高校生及び他高校の生徒数名とともに、ヘルメット、覆面姿で、部外者立入禁止の看板を無視して○○高校の前庭に入り込み、同所において約一時間位討論を行い、D生活指導部長の退去勧告にも応じなかったのみならず、正面玄関前において、「安保粉砕、沖縄闘争勝利、処分撤回、紀元節粉砕」などのシュプレヒコールを繰り返えし、インターナショナルの歌を唱って解散した。学校側では、同月一六日、C学級主任が控訴人方を訪問し、控訴人の母に面会し(控訴人は不在)、学校側の指導に対する協力を要請した。

5 明訓高校突入事件。

昭和四五年二月二一日午後、控訴人は、新潟市内県民会館前で開催された卒業式闘争勝利全県下高校生総決起集会に、他の○○高校生らとともに、参加したのち、約二〇名のデモ隊を指揮して、明訓高校の正門前に至り、同校のいわゆる差別教育(受験教育の一環として、能力別にクラス編成をして、異る内容の教育を行うやり方)糺弾の演説を行ったうえ、「明訓高校に突入しよう。」と呼びかけ、正門でデモ隊を見守る同校教師の列に向ってスクラムを組んだデモ隊を衝突させる行動を、約三〇分間に三、四回に亘って、繰り返えし、これにより教師側九名の者に傷害を、また、数名の者に合計金二万三〇〇〇円相当の眼鏡破損の損害を被らせた。学校側では、同月二三日、C学級主任が控訴人方を訪問し、控訴人の父母に面接したが(控訴人は不在)、控訴人の父母は、無期謹慎処分は思想を変えなければ永久に解除されない苛酷な処分であり、右処分が控訴人の行動を過激なものにエスカレートさせたなどと述べる状態で、C学級主任としても、黙ってこれを聞くよりほかなかった。

6 L教諭に対する威嚇。

昭和四五年二月二三日午後四時過頃、L教諭が登校してきた控訴人に対し、謹慎中だから帰宅するように述べると、控訴人は、「お前ら、それでも先生かよ。」、「殺してやっからなあ。」とか、「こんなところ、今にぶっこわしてやっからなあ。」等々悪罵の限りを尽した。

7 卒業式予行演習妨害。

昭和四五年三月一三日、卒業式予行演習日当日の午前一一時三〇分頃、控訴人は、ヘルメット、覆面姿の大学生、他高校の生徒ら二〇名位の集団を引率して、○○高校正面玄関前に至り、同所において卒業式粉砕のアジ演説などをしたのち、午後一時頃、学校側が唯一個所旋錠をしなかった用務員室脇の出入口から校舎内に侵入しようとし、これを阻止する教師との間に、小競り合いを始め、その際、控訴人は、D生活指導部長の髪を鷲づかみにして引張り、同人の後頭部を二回殴打するなどの暴行を加えた。そのうち、学校側が卒業式の予行演習を終えた三年生を正面玄関から下校させようとするや、控訴人らは、三年生に呼びかけるため、正面玄関前に移動したが、その前後約二時間半に亘り、吹雪の戸外でD生活指導部長を捕えて離さず、同人に対し、卒業式の意義や統一見解の趣旨に関する所見を開陳することを強要した。また、控訴人は、前記正面玄関前への移動の際、D生活部長を連行したが、これを制止しようとして声をかけたM教諭の顔面を三回殴打する暴行を加えた。

8 卒業式阻止行動。

翌一四日の卒業式当日の午前九時頃、控訴人は、外一〇名位の者とともに、卒業式の挙行を阻止するため校舎内に侵入すべく、デモ隊形で学校正門前に現われた。そして、控訴人は、N教諭が学校側の計画に従って正門の扉を針金で結び付けていたところ、同人の後頭部を二、三回小突き、さらに、これを制止したO教諭の頬を二、三回平手打ちし、次いで、東横門を乗り越えて構内に入ろうとして、P教諭に制止されるや、手拳で同人の顔面を突くなどの暴行に及んだ。当日、控訴人らは、警察官の手で学校構内から排除され、卒業式阻止の目的を遂げることはできなかったが、控訴人は、式後、Kら数名の者とともに、正面玄関から校舎内に入って、デモを強行した。

(一〇)  退学処分

被控訴人は、職員会議(最終は昭和四五年三月二二日)に諮ったうえ、控訴人が無期謹慎処分を受けたにかかわらず、暴力的違法行為等(主に前記(九)の2、4(2)、5、7、8)に出たことは、学校教育法施行規則第一三条第三項第四号に該当するものと認め、かつ、学校封鎖参加を重要な情状として、あわせ斟酌し、これらの総合的判断に基づいて控訴人を退学処分にすることとし、昭和四五年三月二四日、控訴人及び母親の来校を求め、口頭で、前記事由により退学を命ずる旨申し渡した。

このように認められる。

《証拠判断省略》

三、本件退学処分の適否。

(一)  一般的な観点。

高等学校の校長が生徒の行為について懲戒処分を行うに当り、その行為が懲戒に値するものであるかどうか、また、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格及び平素の行状、右行状の他の生徒に与える影響等諸般の要素を考慮する必要があり、これらの諸要素を考慮してされる前記判断は、学内の事情に通暁し、直接教育の衝に当る校長の合理的裁量に任すのでなければ適切な結果を期し難いところであり、退学処分が教育的裁量処分とされる所以である。もっとも、生徒に対する懲戒権を定める学校教育法第一一条を承けて規定された同法施行規則第一三条第三項は、退学処分について具体的処分事由を定めており、これは、退学処分が他の懲戒処分と異なり、生徒の身分を剥奪する重大な措置であることに鑑み、当該生徒に改善の見込がなく、これを学外に排除することが教育上やむをえないと認められる場合に限って退学処分を選択すべきであるとの趣旨において、その処分事由を限定的に列挙し、他の懲戒処分よりも裁量の余地を狭めたものと解される(最高裁判所第三小法廷昭和四九年七月一九日判決、民集二八巻五号七九〇頁参照)。したがって、具体的事案において、生徒に改善を期待できず、教育目的を達成する見込が失われたとして、生徒の行為を退学処分事由に該当するものと認めた校長の判断が社会通念上合理性を欠くものといい難い場合には、当該退学処分は校長に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その適法性を是認すべきものといわなければならない。叙上の観点に立って、本件を考察する。

(二)  処分事由の個別的検討。

被控訴人が本件退学処分をするに当り基礎に置いた事実が主として前記二の(九)の2、4(2)、5、7、8の事実であり、あわせて学校封鎖参加の事実が重要な情状として斟酌されたことは前認定のとおりである。右各事実を、時の順序に従って、検討する。

1 学校封鎖参加について

(1) ○○高校のすくなくとも三分の一以上の生徒が要求し、学校側もその開催を応諾した全校集会において、高校生の政治活動のあり方を中心に討議を行おうとしていた段階において、学校側が自己の発表した統一見解の内容を不可変的なものとして固執したことは、いささか頑なであり、これでは全校集会の目的の大半を失うに等しく、さらに、学校側が討論の場として予定された全校集会を学校側による統一見解の説明会に切り替えようとしたことも、当初の態度を一方的に変更するものであったから、生徒側の反発を招いたとしても、無理からぬところであったといえる。しかし、たとえそのことが学校封鎖の導因の一つとなったとしても、学校封鎖は決してこれを正当視しうるものではない。けだし、公立学校は地方公共団体の設置管理する営造物であり、その校舎は営造物を構成する物的施設であり、本件にみるごとく設置目的に関係なく、これを排他的に占拠し、あわせて、校舎内の設備及び物品を損傷し、また、学校関係者を軟禁することは、行為自体において違法であること多言を要しないからである。そして、学校封鎖は、それが○○高校の全校集会における統一見解の取扱をめぐる生徒側と学校側との対立を契機として企画、遂行されたものであると認められるほか、その主謀者、計画策定の過程、動員の詳細、控訴人の加担の経緯などすべて証拠上明らかでないが、B教頭軟禁の際における控訴人の行動からすると、控訴人がかなり積極的な活動分子として学校封鎖に参加したものであることが推察される。

(2) 控訴人は、学校側の全校集会に対する態度の変更に対し反省を求めるため、学校封鎖をせざるをえなかったと主張する(原判決事実摘示第二の三(三)1(1))。しかし、前述したとおり、学校封鎖が真に目標としたところは証拠上明らかでなく、控訴人の右主張もこれを裏付ける証拠はない。それ故、右主張を前提として、本件退学処分が控訴人の問題提起を圧殺するものにほかならないと非難する控訴人の主張(前同(1))は判断すべき限りでない。

2 授業妨害について。

(1) 授業妨害は、控訴人が出席日数不足のため進級できないことの責任は学校側が負うべきであるとの見解を披瀝するため行ったものである。しかし、出席日数の不足は、控訴人の学校封鎖参加を理由として被控訴人がした無期謹慎処分の効力が継続したことの結果であるが、事態の発端となった無期謹慎処分を不当もしくは違法と目すべき事由はない。また、右処分が解除されなかったのは、学校封鎖参加の非を反省し、今後暴力的破壊的行動に出ることを慎むようにとの学校側の指導を控訴人が受け容れなかったためであるが、前述のような学校封鎖の明白な違法性に照らせば、学校側の右指導は相当であって、格別非議すべきものはなく、これを受け容れなかった控訴人の態度は是認できない。そうとすれば、無期謹慎処分の効力が継続し、出席日数の不足をきたしたのは、むしろ、控訴人側の態度に原因があったものと認めるべきである。したがって、控訴人がした授業妨害はその動機において諒としうる事情はなんら存しなかったといわなければならない。そして、授業妨害そのものは、学校の基本的目的の遂行を真正面から否定する行為であることはいうまでもない。

(2) 控訴人は、当日、二年六組においては、控訴人の問題提起を受け、学友の意思によって自主的に討論が継続されたものであると主張するが(原判決事実摘示第二の三(三)2)、前認定を覆えして右主張事実を認めうる証拠は、当裁判所の措信しない当審における証人Qの証言、原審における控訴人本人尋問の結果を除き、これを見出することができない。

3 紀元節反対集会について

紀元節反対集会は、学校側の許可なくして敢行された点において、生徒心得及びその根拠規定たる学則に違反するのみならず、学校側の退去勧告にも応じないでこれを継続した点において、悪質であるといわざるをえない。控訴人の主張するとおり(原判決事実摘示第二の三(三)3)、控訴人らの行動は、討論を行い、シュプレヒコールを繰り返えすことが主で、暴力的行為はなにも行われていないことは事実であるが、そうであるからといって、前記の評価を変更すべき理由はない。

4 明訓高校突入事件について

(1) 控訴人が指揮した明訓高校突入事件は典型的な暴力行為に当り、同高校の教師側に九名の受傷者すら生じたもので、違法であること明白である。

(2) 控訴人は、控訴人らの当日の行動は土曜日の放課後学外で行われたもので、授業放棄ではなく、時間的、空間的に生徒の本分、学校の秩序と関係のない領域での行動であると主張するが(原判決事実摘示第二の三(三)4(1))、たとえ土曜日の放課後、学外で行われたもので、授業放棄を伴わないものであったとしても、他人に傷害を与える暴力行為が生徒の本分、学校の秩序に関係のない領域での行動であるとするのは全く不通の論理であって、採用に値しない。

(3) また、控訴人は、被控訴人が控訴人の当日の行動を退学処分の対象とするのは明訓高校の差別教育に対する問題提起を圧殺し、かつ学校教育法第一一条但書違反の明訓高校側の行為を正当化するものであると主張する(前同4(2))。控訴人がいう明訓高校の差別教育なるものの内容は先に認定したとおりであり(前記二(九)4参照)、《証拠省略》によれば、控訴人ら○○高校の生徒らは、右の教育が○○高校における受験教育と本質的に同じであると受けとめ、高校生同志でこの問題を考えようという発想に基づいて行動したことが認められる。右のような発想は、同じ年代に属する高校生が自分達の置かれた教育環境のあり方を問おうとするものであって、なんら掣肘を加えるべき筋合のものではないが、その発想が直ちに糺弾につながるところが短絡的であると評すべきであり、目的を実現するためデモ隊の実力で校内突入を図るという手段をとったことは行き過ぎである。被控訴人は、まさに、その行き過ぎの行動を捉えて処分の対象としたのであり、これをもって控訴人らの問題提起を圧殺したものと認めなければならないものではない。また、明訓高校側に学校教育法第一一条但書違反の行為があったことを前提とする控訴人の主張は、該前提事実を認めうる証拠がないので、採用するに由ない。

5 卒業式反対闘争について。

(1) 《証拠省略》によれば、卒業式反対闘争における控訴人の行動の根底は、高校生は、卒業に当って、大学受験のためにのみ送ってきた高校生活がいかに狭いものであるかを討議、反省すべきであるのに、在来の卒業式は、型どおりのことばで、過去を愛惜、讃美するだけであり、卒業生は無自覚なおとなとしてしか巣立っていかないこととなるという批判を投げかけるところにあったことが認められる。しかし、高等学校におけるより良い教育のあり方如何という問題は、その性質上、単なる校内問題に止まりえず、中学校及び大学並びに学校を取りまく一般社会の問題との関連を踏まえ、広い視野に立って多角的に検討することを要するものであり、短時日のうちに適切な解決を実現することははなはだ困難なものであるから、単に在来の卒業式を否定し、討議反省集会をもって置き換えても、そのような一回的集会によって問題の解決にどれほど資するところがあるか疑問である。したがって、このような討議反省集会の開催を提唱しようとすることの当否は問題であるといわざるをえない。のみならず、現実に顕われた控訴人の行動は、卒業式の阻止、粉砕の面に傾いた嫌いがあり、しかも、当該目的を実現するためには、その手段を選ばないという過激な性格を帯びるに至り、無理矢理に校舎内に侵入しようとしたり、教師に数々の暴行を働いたりしたのであって、明瞭な暴力行為の様相を呈した。

(2) 控訴人は、暴力行為は学校側の不当な禁圧、阻止によって発生したもののように主張する(原判決事実摘示第二の三(三)5(1))。卒業式予行演習日においても、卒業式当日においても、控訴人らは、学校側の制止を排して校舎内に侵入しようとし、そこに力と力の衝突が生じたことは必然的であった。しかし、学校施設としての○○高校校舎の管理権が新潟県教育委員会にあったにせよ、○○高校長(被控訴人)にあったにせよ、学校側の前記制止は当該管理権者の意思に基づいてされたものと推認されるのであって、これを不当とする控訴人の主張は首肯しうる理由付けを欠く。また、事実の経過としても、前記衝突は、学校側が控訴人らに対し先制的、積極的に働きかけたために生じたというよりも、むしろ控訴人らの不法侵入を教師側が受働的に制止したことから始まったのである。したがって、控訴人の主張は失当である。

(3) また、控訴人は、控訴人らの行動を退学処分の対象とすることは高等学校の教育の問題を真正面から見つめようとする運動を学校教育法第一一条但書で禁止させている体罰や警察力で圧殺しようとする学校側のあり方を不問に付し、陰蔽しようとするものであると主張するが(前同5(2))、証拠の裏付を欠くものであって、採用できない。

(三)  退学処分のいわゆる「実体的要件」について。

1 控訴人は、退学処分の「実体的要件」として、(1) 学校において憲法及び教育基本法に基づく教育原理に添った教育が行われていること、(2)当該生徒に対し十二分な指導がされたこと、(3)退学処分が当該生徒に対する教育目的を伴ったものであることを要するのに、本件退学処分はこれらの要件を欠いている旨主張する(原判決事実摘示第二の三(一))。

しかし、控訴人の主張(1)の教育の実態如何は退学処分の適否を具体的に検討しようとするとき逢着する事実問題の一つであるというだけのものであって、これを処分の独立の要件とみるのは控訴人の独自の見解にすぎない。のみならず、控訴人が○○高校の教育の実態として主張するところは、控訴人の評価に適応するような事実を支える証拠がない。すなわち、(イ)《証拠省略》によれば、本件当時○○高校においては、重習制と称し、生徒が低学年で履修した社会科及び理科の科目で大学受験をすることを希望する場合、これを第三学年の半ば頃から復習的に再授業する方法がとられ、このため第三学年の科目として組み込まれているもので、当該生徒の大学受験に無関係な科目は、短期間の履修で足りるとされるなど大学進学のための受験教育を重視していることが認められるが(右認定を左右するに足る証拠はない。)、○○高校が受験準備教育に徹していた旨の控訴人の主張を認めうる証拠はなく、前掲証拠によっても、進学希望者の多い公立高校の教育として平均的な教育体制にあったものと認められる。

(ロ) ○○高校において政治教育を軽視した旨の控訴人の主張は、《証拠省略》によっても、これを肯認することはできない。(ハ)学校側が昭和四四年一一月六日に発表した統一見解に集約されているとおり、学校側が生徒の政治活動を規制する方針をもって臨んでいたことが窺われるが、右規制が十分な合理性を有するものであることは次段において詳述するとおりである。(ニ)学校側が生徒の集会について実際上許可制をとっていたことは前述したが、《証拠省略》によれば、ポスターその他の掲示、ビラの配布についても、必ず事前に関係職員を通じ、生活指導部に申し出て、指示を受けることをされていたこと(生徒心得9)が認められる。しかし、学校側が教育目的を実現するために必要な合理的限界を逸脱して不当な規制を行ったことを認めうる証拠はない。(ホ)総じて、○○高校における教育の現状が、控訴人の強調するように、生徒の教育を受ける権利を否定するものであることを認めるに足る適確な証拠はないとすべきである。控訴人のような年代の青年、生徒にとって、およそ現実は理想と隔たること著しいものと映ずるのであろうし、そのような現実に対する不満あるいは現実がもたらす不安や積極的な現実変革への意志などが控訴人の本件における行動の底流にあったのであろうことは、原審における控訴人本人の供述を通じて看取されるところであるが、そのことと控訴人がした行為に対する法的、社会的評価は自ら別個の問題であり、たとえ控訴人が自己の行動を受験準備教育に対する反対、政治教育の要求、政治活動及び表現の自由を求める運動であると標榜しても、これをそのまま行為の正当事由として承認することはできない。その他控訴人が○○高校の基本的教育態度として云々する点は、これを認めうる証拠はない。

2 また、控訴人の主張(2)の当該生徒に対し十二分の指導がされたかどうか、同(3)の退学処分が(後述のような意味で)教育目的を伴ったものかどうかは、その点を含めた当該事案の諸事情を総合的に観察して退学処分の選択が社会通念上合理性を欠くものといい難いかどうかを考察すべきであるという趣旨において、検討すべき一要素であることは否定できない(その限りで控訴人の指摘は正当である。)。

ところで、控訴人が政治活動に加わり、無断欠席や遅刻早退が多くなるようになった当初の段階において、学校側が控訴人及びその両親としばしば懇談し、学業を専一にし、欠席などの場合は所定の手続を遵守するような指導、説得に努め、両親の協力をも要請したこと(前記二(一))、中央高校事件における控訴人の行動について被控訴人が校長注意をしたこと(前記二(二))、それにもかかわらず、控訴人が学校封鎖に加担したため、被控訴人において控訴人を無期謹慎処分に付したが、被控訴人は、控訴人に改善の見込があると認められるときは、右処分を解除する方針で臨み、控訴人本人に対する右処分の告知に当ったC学級主任からも、今後の行動を慎むよう説諭したこと(前記二(九)1)、学校側では、当初の方針に従って、右処分の解除をしうるように配慮して、C学級主任をして、何回も控訴人に対し、学校封鎖参加の非を反省し、今後の行動を慎むよう懸命の説得に努めさせたこと(前記二(九)2)は前認定のとおりである。高等学校の生徒はその大部分が未成年者であり、国政上においても選挙権などの参政権が与えられていないが、その年令などからみて、独立の社会構成員として遇することができる一面があり、その市民的自由を全く否定することはできず、政治活動の自由も基本的にはこれを承認すべきものである。しかし、現に高等学校で教育を受け、政治の分野についても、学校の指導によって政治的識見の基本を養う過程にある生徒が政治活動を行うことは、国家、社会として必ずしも期待しているところではない。のみならず、生徒の政治活動を学校の内外を問わず、全く自由なものとして是認するときは、生徒が学習に専念することを妨げ、また、学校内の教育環境を乱し、他の生徒に対する教育の実施を損うなど高等学校存立の基盤を侵害する結果を招来するおそれがあるから、学校側が生徒に対しその政治活動を望ましくないものとして規制することは十分に合理性を有するところである。また、本件当時全国的な規模で展開されたいわゆる学校封鎖は、個々の場合においてそれぞれ異なる様相を呈したとはいえ、ほとんど常に暴力的破壊的性質を帯び、その結果は、単に学内に止まらず、多かれ少かれ社会一般の秩序を乱すものであったことは公知の事実である。それだけに、学校側が生徒に対しこのような行動に加担しないように教導し、生徒がこれに参加した場合に、その行為の性質その他の事情に鑑み、適切な懲戒処分をもって臨むほか、処分後の指導においても、生徒に対し自己の行為の非を反省し、今後同じような暴力的破壊的行動に出ることを厳に慎むよう指導することは当然のことであり、もとより生徒の政治的自由に対する侵害などと評価すべき限りではない。したがって、本件において学校側が控訴人に対してとった前記のような指導説得が教育上あるいは法律上の観点からみて当を得なかったとはとうていいい難いところである。しかるに、控訴人は、学校側に対する根強い不信感を抱き、学校側を権力と見立て、これに抵抗することをよしとする観念に捉われていたため、右指導、説得の効果を上げることができず、控訴人の行動は過激な暴力行為の一途を辿ったことは前記二の認定事実によって明らかである。それ故、控訴人に対する十二分の指導がされなかったとする控訴人の主張は失当とすべきである。

3 次に、生徒に対する退学処分が教育目的を伴ったものであるということは、退学処分に至るまでの間の補導の問題(これは既に考察したところである。)を別にすれば、退学処分が本人に与える影響あるいは教育的効果を考慮してなされるという程の意味に解されるが、退学処分は結局最も強力な懲戒として、学校が当該生徒に対する手を離すことを意味するのであるから、右の影響ないし効果を考慮するといっても限度があり、在学関係が存続し、学校の教育によって生徒の改善が期待される場合にとられる懲戒処分の場合と異なるものがあることは自明である。本件において、《証拠省略》によれば、被控訴人は控訴人の将来を配慮して処分申渡しの翌日中に退学願を提出すれば、願による退学(学則第二五条)の形をとることを告知したが、控訴人はこのような形をとることは学校に対する屈服になるとして退学願を提出しなかったことが認められるのであり(右認定を左右するに足る証拠はない。)。被控訴人に右のような措置以上のものを期待することは無理であると考えられる。被控訴人が控訴人を学外に追放すること自体を目的として本件退学処分をしたもので、教育目的を欠く旨の控訴人の主張を認めるに足る証拠はない。

(四)  本件退学処分は裁量権の範囲に属するか。

前記(二)(三)で考察したところによれば、被控訴人が本件退学処分の基礎に置いた控訴人の行為は、いずれも違法もしくは反社会的な行為と評価すべきものであり、しかも徐々に暴力的様相を濃くしていった傾向すら看取できるのであり、また、被控訴人が情状として斟酌した学校封鎖への参加も明らかに違法なものであった。学校教育法施行規則第一三条第三項第四号にいう「学校の秩序」、「生徒としての本分」がなにを意味するかについては、種々の議論がされうるであろうが、すくなくとも学校を前記のような違法もしくは反社会的な行為の場として行動すること(明訓高校突入事件を除くその余の前記各行為)が学校の秩序を乱し、生徒としての本分に反するものであること、たとえ学外の行動であっても、違法な暴力行為に出ること(明訓高校突入事件)が生徒としての本分に反するものであることは明白であり、懲戒権者である被控訴人においてそのように認めたことが社会通念に照らして不合理であるとはとうてい考えられない。のみならず、本件退学処分に至る過程において、学校側が控訴人に対する指導に努力したが、控訴人の学校側に対する不信感などに帰因して、不幸にも、控訴人の受け容れるところとならなかったこと、退学処分に当っても、願による退学の形式をとる余地を認めて、退学処分が本人に与える影響を緩和しようと配慮したことは前述のとおりである。叙上の諸事情を総合的に観察すれば、被控訴人が控訴人に改善の見込を期待できず、教育目的を達成する見込が失われたとして、控訴人の行為を学校教育法施行規則第一三条第三項第四号にいう「学校の秩序を乱し、その他生徒としての本分に反した」ものと認めた判断は、社会通念上合理性を欠くものとはいい難く、結局、本件退学処分は懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その適法性を是認すべきものである。

(五)  懲戒権の乱用の主張について。

1 控訴人は、本件退学処分の違法事由として懲戒権の乱用を主張するが(原判決事実摘示第二の三、4(2)、5(2))、右主張を裏付ける事実の主張については裁量権逸脱の有無に関する説示中で判断したとおりであり(前記(二)4(3)、5(3))、それによれば、右事実の主張は懲戒権の乱用の主張を支えるだけの意味を有しないか、または、証拠を伴わないものであり、結局、懲戒権の乱用の主張は採用することができない。

2 また、控訴人は(原判決二五枚目裏四行目から二六枚目表二行目までの理由説示に対する反論の趣旨で)、被控訴人が本件退学処分の基礎として事実の一つでもそれが「学校の秩序を乱し、その他(中略)生徒としての本分に反した」ものと評価することができないものであれば、本件退学処分は、根拠を欠くものとして、もしくは、相当性を欠き懲戒権の乱用に当るものとして、取り消されるべきであり、学校封鎖参加という情状事実をもって埋め合わせをすることは許されないと主張するが(本判決事実摘示の控訴人訴訟代理人の陳述の二)、被控訴人が本件退学処分の基礎とした事実は、その各個が「学校の秩序を乱し、その他(中略)生徒としての本分に反した」ものと評価すべきことは前記(四)で説示したとおりであるから(右は原判決の前記判断と異なるものである)、控訴人の主張は本件に適切でない議論を展開するものであって、失当とすべきである。

(六)  退学処分のいわゆる「手続的要件」について。

1 控訴人は、退学処分については、事前の事情聴取、弁明の機会の付与、理由を付した書面による告知など告知聴聞の手続を経ることが必要であると主張する(原判決事実摘示第二の三(二)1、3)。《証拠省略》によれば、控訴人が学校封鎖参加の件で自宅待機を命じられた後である昭和四四年一一月一二日午後一時三〇分から四時まで、全校集会が開かれたとき、学校側が控訴人に対し、学校封鎖に参加した理由を述べる機会を与えたにかかわらず、控訴人はあえて右集会で陳述しなかったことが認められるし(右認定を左右するに足る証拠はない。)、自宅待機命令以後無期謹慎処分を経て本件退学処分がされるまでの間、学校側が控訴人について指導、説得に努めた際、本人または保護者から事情を聴取しており、控訴人が自己の行為の正当性を主張する機会が与えられたことは先にみたとおりである。(しかも、本件退学処分の基礎とされた控訴人の行為は、学校内もしくは街頭で、教師、生徒らの面前において、時に教師を被害者として行われたものであって、事実自体はすこぶる明白なものであった。)そして、本件退学処分につき控訴人及びその母に対しその処分理由を口頭で告知したことは前記のとおりである。叙上の諸事情のもとにおいては、被控訴人が本件退学処分をするに当り控訴人に対し事前に告知聴聞の機会を与えたものとみるのを妨げない。

また、本件退学処分は被控訴人(校長事務取扱B)が控訴人及び母親に対し事由を具して口頭で申し渡したところ、一般的に処分の口頭告知が控訴人主張のような難点を伴うものであることは否定できないが、処分の告知方法について特に定めのない現行制度のもとにおいては、口頭告知により被処分者が処分の取消を得なければ救済しえないほどの不利益を被ったことが具体的に肯認できる場合に、はじめて、当該告知方法が処分を瑕疵あらしめるものと考えるほかないところ、本件において、控訴人にそのような不利益が生じたことについては主張も立証もない。

2 次に、控訴人は、職員会議における審理不尽を論難する(原判決事実摘示第二の三(二)2)。

退学処分は校長がこれをする権限を有するが、右処分の重大性を考えると、右処分をするかどうかについて職員会議に諮問することが条理上当然であるといえよう。しかも、諮問が退学処分の適正さを担保するためにされるという趣旨に照らせば、諮問は、職員において意見を述べるに適当な程度に、当該生徒に対する退学処分事由が具体的に特定されていること及び該諮問事項に即して職員の意見が述べられることが最小限度要請されるところである。本件において《証拠省略》によれば、○○高校の職員会議においては、中央高校事件以来、控訴人に対する処遇がしばしば議題とされてきたが、控訴人が無期謹慎処分中であるのに、授業妨害の行為に出るに及んで、退学処分に付すべき旨の意見も提出され、さらに明訓高校突入事件の発生に接し、被控訴人を除く職員の意見は控訴人を退学させること(但し、願による退学の形をとることを含めて)に一致するに至ったが、被控訴人において決断のために熟慮期間を求めて推移する間に、新たに、卒業式反対闘争が発生し、被控訴人は遂に昭和四五年三月二二日の職員会議に控訴人に対する退学処分の案件を上程し、職員の意見を求めたこと、その際、被控訴人は、無期謹慎処分後の控訴人の一連の行動、主に前記二(九)の2、4(2)、5、7、8を挙げて、これらの事実を基礎に退学処分をすることの可否を問うたものであり、出席した職員は控訴人の右一連の行動を具体的に頭において、全員が退学処分を可とする旨の意見を述べたものであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定事実によれば、被控訴人は適法に職員会議の諮問を経由して本件退学処分をしたものとすべきである。なるほど、《証拠省略》を検討すると、控訴人の各個の行為の態様のうち重要でない些細な事実については各職員の認識が一致していたとはいえず、また、学校封鎖参加の事実を情状として斟酌するか、あるいは処分の基礎に置くかという点についても、職員が一致した認識を持っていなかったことが窺われる。しかし、控訴人の各個の行為の本筋についての重要な事実について各職員の認識が異っていたとは認められず、また学校封鎖参加の事実をも処分の基礎に置くのでなければ退学処分を否とすべきであるとの意見(その余の事実だけでは退校処分に当らないとの意見)が右会議の席上述べられた形跡はなく、これを殊更に論点に据えないまま会議を終結させたというような、内部意思決定に瑕疵があることを推測させる証跡も見出せない本件においては、単に前記のようなことから直ちに職員会議で教育機関たるにふさわしい慎重な審理が行われなかったと速断すべきではない。また、職員会議の席上、控訴人の行動の動機、理由が一切検討されなかった旨の控訴人の主張はこれを認めるに足る証拠はない。

されば職員会議の審理不尽をいう控訴人の主張は失当である。

四  結論。

以上の次第であるから、被控訴人がした本件退学処分の違法を主張して右処分の取消を求める控訴人の本訴請求は失当として棄却すべく、これと同趣旨に出た原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 蕪山厳 裁判官 髙木積夫 堂薗守正)

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